2009年5月27日 (水)

ブログ開設のご挨拶

考えてみたいこと

 私は今一体自分が何に対して分からないかが分からないという感じを抱くことがある。でも何に対して分からないかが分からなければ誰に相談していいかも分からないから誰にも相談出来ないでいるのだ。こういう経験っていうのは誰にでもあるものなのだろうか?

 しかしそもそも誰かに相談して分かることもあるけれど、そんなことをしてもどうにもならないこともあるという直観をその時に持つ。つまり誰に相談していいか分からないから、まず自分自身に問いかけてみようとそう思うのである。

 しかしその時ふと自分が私という社会的に通用する名前や性格や容貌、特徴を持った私から、今ここにいなくても、他のどこかにいても、自分が他の誰でも一向に差し支えないような、それでいて他の誰でもないような一種独特の感じに自分が行き着いてしまっているような感じもするのだ。

 こういう感じを味わったことのある人ならこの気持ちを分かって貰えるかも知れない。つまりこういう感じは恐らく誰も経験することなのだろうとどこかではっきり分かっているような気もするのである。だから私はそうやってそういう気持ちになっていく時明らかに社会的に容認され、通用する私という自己同一性をするりと滑り落ちて、私自身を離れて何か独特の超越的な感じへと降りていく気がするのである。匿名的な私、私以前の自分自身になっている気がするのである。

 しかしそう感じると、今度は自分が自分自身以外の誰にも相談していないのに、他の皆と同じだという気分になってしまうのもおかしなことだ。つまり最初は一人で全部解決出来るのではないかと思いどこにいてもいいし、他の誰でもいいし、でも他の誰でもないような自分を通じて皆と同じような気分になっていってしまうのだ。

 しかしそれを自分の中で確認すると、いつしか私は自分に固有かも知れないとはじめは思っていたけれど、ひょっとしたら誰でもそういう感じがするということがあるのかも知れないとそう思うと、つい誰かにそのことを告げたくなることもある。

 

しかしそのことを告げようと思うと、何故か最初にあの独特の超越的な感じ、つまり他のどこにいても構わないし、他の誰になってもいいけれども、他の誰でもないあの独特の感じを伝えようとすると、それは再びどこかにするりと滑り落ちて、それ以外の寧ろどうでもいいようなことしか伝えられず、もどかしい思いを味わってしまう。つまり伝えなくても分かっているような感じというのは敢えて伝えようとするといつもするりと滑り落ちてしまうように感じる。そして伝えられなかったものの方がずっと素晴らしかったのにといつも思うことになる。

 

この独特の感じを少しでもここで伝えられればこのブログを開く意味があったということである。そして今私が伝えたような感じを一度でも感じた人は自由にコメントして下さればいいと思う。

 しかしその時恐らく私は、外部から私を私であると認めるような私からまたするりと滑り落ちて他のどこにいてもいいし、他の誰でもいいけれど、他の誰でもないような自分に下りて行っている気がする。

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