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2010年8月 2日 (月)

Nameless-valueとは何か?/文章を書くことの意味

 私はブログ上ではアーティスト、作家、思想家と名乗っている。何故そうしているかというと、この国では何らかの形で自分のことを対外的に職業的規定で名乗らなければいけないという不文律があるからであり、私自身に何か殊更そう名乗らなければいけないという理由があるからではない。

 まず私は最初にアーティストを目指し、事実沢山作品を作ってきたし、またその年月も一番長かった。結局私はその世界で挫折して、それ以前からずっと書くことが好きだったので出版社などに原稿を送る日々が続き、そこでも注目を浴びず、ブログを一年と少し前に書き始め、現在に至っている。

 従って職業欄に何か書けと言われた時正当に「~家」と名乗れるような何のパスポートも持ち合わせてなどいない。又元来人間は一々そういう風に職業的に名乗らなければいけないという習慣自体も私はおかしいと感じている。だが世の中自体がそういう態度を許さない部分もあるので、仕方なくそうしているとも言える。

 文章を書くという行為はどういうことかといつも考える。

 例えば人のことを書く時、私によって書かれた人がそれを読めば何らかの形で精神的影響を被るかも知れない、という意味では文章とは、それが具体的、抽象的な文章いずれのタイプのものであっても、何らかの形でそれを読む人に精神的インパクトを与えずにはおかないという意味ではかなり危険なものである。

 本来文章とはそれを書きたい人が書くものである。従って書く人には何か書く理由がなければならないし、事実そういう人だけが文章を書くことを選んでいるのだろう。

 重要なことは、人は文章を書くことによってでなくても、何か言いたいこと、他人に対して、周囲全体に対して、社会に対して何らかの意見はどんな人でも持っている、ということである。

 しかし多くの人は文章自体を書こうという気にならない。いや仮に書きたいという気持ちがあっても、書くことが出来ずにいるか、そういう機会を見出せずに終わっている。もしそうであっても、彼等全員が何も意見がないわけではないし、多くの人は結局生涯一度も自分の意見を外部に発信することなく死んでいく。

 しかしそのこと自体から文章を書かない人が不幸であるという風に決め付けられない。

 要するに文章を書くという行為も、それを読むという行為も、何らかの形でそういう機会を得た極めて少数の人々の間での特殊な行為だ、ということだ。

 従って文章を書くこと自体をあまり過大に価値的に捉えてもいけないし、又読むこと自体もそうである。要するにそんなことが一切なくても人生は生きていける。

 その意味ではそれで金を取っていても、取っていなくても文章を書くという行為を常習的に選んでいる人にとっての幸福も不幸もその行為の中にある、と言っていいであろう。

 通常文章など書こうという気にさえならない人々にとって文章を書かない日があったからと言って、毎日文章を書いている人がその日一日空虚に感じられるということなどないし、文章を書いて発表すること自体発想されるような種類の行為ではないのだから、必然的に彼等の幸福とは文章を書くことの中には当然のことながら、ない。

 つまり何か特定の行為をすることが価値的に感じられた人にとって、その行為はある意味では、それをしない日があるということがかなり苦痛なことになってしまう。

 またそうであることで、自分自身のアイデンティティを確認することが出来る。

 学問とは文章を書くことに価値を見出している人達だけのものではない。学問は学問という形で論文とか特定の形式で書かれた文章を読む人達の為のものである。

 従って学問を専門とする人にとって文章を書くことは学説とか研究すべき専門分野を他者という外部に示す為の手段である。

 しかし文章を書くこと自体を主軸にしている人にとって学問自体がどうであるべきかとか、どうあらねばらないかということはあまり大した意味を持たない。

 つまりそういう風に文章を書き続けること自体を価値的に捉えること、いや価値という風に大仰に示す必要もないくらいに習慣化(前の文章では常習的といったが、そう言ってもいいし、もっと健全な言い方にすればこうなる)している人を文章書き、作家と呼んでよいであろう。

 私がこのブログのタイトルをNameless-valueとしたのには理由がある。それは私自身は殆ど無名の人間であり、作家というと、どこかかなり知名度のある人を通常イメージするからであるが、その無名であること自体が価値であるような何かいいタイトルがないだろうかと考えていた時にふと思いついたのである。アメリカのテキサス州にNameless Valley Ranchというのがあるらしいが、それはこのタイトルを考えた時からネット検索で知っていた。しかし後からネームレス・ヴァリューとしたら、それがネームヴァリューの逆であるということにも気がついた。その時は我ながら巧い名前を考えたものだと悦に浸ったものである。

 今年は色々なことがあった年だったが、少しずつそのことを考えを整理しながら書いていきたいと思っている。自分自身が体験したことの中で気づいていった真実が私にとっては極めて大事である。それを信じることしか私には出来ない。

 そしてそうであることを確める為に、ここに一人の無名の作家として書き続けていくことには意味がある。

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コメント

nice post. thanks.

投稿: veterinary technician | 2010年8月11日 (水) 03時38分

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