« 悪女の条件 第三章 | トップページ | 日記的記述W 時間と空間-Part9の補足/旅行を前にして »

2011年6月 9日 (木)

時間と空間Part9 数字の世界と哲学的認識とは重複する部分とそうでない部分とが常に在る

 前回以降一回基礎論で述べたことは完全に形而上学的視点のものであった。<「時間と空間」と「無の創造」の為の基礎論・http://poppyandbell.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-48e2.html

 では数学では数字の世界をどう考えているかということと、それは哲学的認識とどう接点があり、どう異なりずれているか、ということを考えてみよう。

 数学では整数、自然数などというカテゴリーが設けられている。しかし無限ということを考える時位相幾何学などでは整数と自然数では無限の大きさには違いはない、としている。これは自然数である12などの数が、仮に-が付いていても、その序列的な並びは一切変わらず(1,-1(2,-2),(3,-3)~∞延々同じ対応が続くからである。尤もこれが自然数、整数以外の数字を含めると、当然無限の大きさにも差が出て来るが、今回はそのことには触れない。

 数学の世界ではゼロの発見は色々な公理や定理が発見された後に付け足される様になされた。

 私は数学の専門家ではないので、概略的なことしか言えないが、そういった意味ではゼロの存在理由は案外希薄である。第一に整数だけ考えるならゼロの意味は殆ど無に等しい。

 数字を1,2,3,4,5,6,7,8,9,10と整数で記す時十番目に初めてゼロは登場する。これは要するに人間の手が十本あったので、十を一つの纏まりとして最小単位としようという取り決めであるに過ぎず、基本的に単位が変わる時にゼロが登場するということ以外にゼロの意味はない、と言ってよい。これは単純に数字の記述的配列の為の便宜でしかない。

 例えばもう賢明な来場者はお気づきかも知れないが、少なくとも漢数字の場合、一切 自然数ではゼロは登場しない。十、百、千、万、十万、百万、一千万、一億

という様にここにゼロは登場しない。

 従って世界規準である数字の世界で仮にゼロを消去したところで、さして困るということは原理的にはないのだ。

 このことはでは計算機数学の世界を絡めて考えるとどう考えたらよいのだろうか?

 例えばパソコンの画面に映っている全ての画像は0と1によって明滅している。要するにゼロはオフ、1はオンという形で示され、その複合画像を我々は見ているに過ぎない。

 しかしこれはある画像が指示によって立ち上げられている時には、オンであれオフであれ電源を入れれば画面が立ち上がり、オフであっても、それは電源をオンにした状態での入力しない、ということでしかない。

 しかし一旦パソコンをオフにしてしまえば話しは別だ。しかしスタートボタンを押し立ち上げることは出来るし、仮に停電になっても、電力供給自体が何時でも復旧可能であれば、それは完全なるオフではない。オフは全てオンすることの内にある。

 しかし哲学的無とはそういうことではない。そしてそれはある意味では実在証明をすることが出来ない。それはカントなどの哲学でも考えられてきた。従ってそれは数学の数字の世界の公理ではないし、要するにもっと存在論とか価値論といったことから繰り出される形而上的な概念なのである。

 数学は恐らく形而上学ではないが、形而下学(自然科学一般)でもない。そういった意味ではかなり太古から大勢の哲学者達が数学自体の存在理由を巡って喧々諤々の論争をしてきたのだった。

 ゼロとは無とは違う、というのが私の考えである。ゼロはあくまで有の内に設けられた一つの方便的な概念であるに過ぎない。

たまたま私達の先人達がゼロを便宜上付け加えた。しかし整数の概念がマイナスも含めて成立したからこそ成立した自然数の概念ではあるが、基本的に整数は先ほどの位相幾何学的見地から言えば自然数と構造は全く同じである。対応するということが成立するなら、例えば円であれどんな大きさでも相同であるという見解が位相幾何学である。

その顰に倣えば、ゼロはマイナスの整数を設ける為に設定された基準であり、+と-だって、ある意味では経済学とか統計学で利息(支払う側から)と利子(支払われる側から)の違いを設けているということくらいのことであり、基本的に数量的な違いがあるわけでもない。

 尤も実数ということが持ち出されてきたのは、単純にルートをした時に必ず解が+になってしまうことに纏わる論理矛盾を解消させる為に、便宜的に解がマイナスになる為に必要とされた虚数の登場によってである。

 この様に論理的納得の為に予め設定されていた基準以外の規準を設けることによって最初に設定された基準自体を別の枠(外延的な枠)から設定し直すという面では確かに哲学も数学と似たところはある、ということを今回のもう一つの結論としておこうか。

|

« 悪女の条件 第三章 | トップページ | 日記的記述W 時間と空間-Part9の補足/旅行を前にして »

コメント

≪…別の枠(外延的な枠)から設定…≫のモト、十進法の自然数の基の西洋数学の6つの成果のシェーマ(符号)からの送りモノとして、数の言葉⦅自然数⦆の3.4次元で閉じている各次元の[数体]が溶け込んでいる『幻のマスキングテープ』(実数直線)を味わいたい。

 ≪…「時間と空間」…≫の数の世界の立ち位置は、空間は、[コスモス表示](カオスを内在)
 時間は、超越数【π】(時間を顕在化・動的)
 超越数【e】(時間を内在化・静的)
 そして、行為としての時間(思考時間)を、【ー1】
 と当てはめて観たい。

 この物語の原型は、『HHNI眺望』で捉える自然数の絵本で、「もろはのつるぎ」(有田川町ウエブライブラリー)

投稿: 形三兄弟(自然数の本性) | 2021年9月 5日 (日) 12時44分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 時間と空間Part9 数字の世界と哲学的認識とは重複する部分とそうでない部分とが常に在る:

« 悪女の条件 第三章 | トップページ | 日記的記述W 時間と空間-Part9の補足/旅行を前にして »