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2011年6月 9日 (木)

悪女の条件 第三章

男の人生に於いて女性の存在は、ある部分では男の仕事能力を培うものであることだけは間違いない。ニーチェの様に商売女しか抱けなかった男性でも、ラッセルの様に七回とか八回とか(正確なデータは忘れた)結婚した男性でも、彼等哲学者には、そういった気になる、自分自身が男性以外ではないということを教えてくれる存在が必要であり、それは意識の上で常に何処かの頂上に君臨しているものなのだ。

 ある部分女性にいい所を見せたいということ自体が男性に仕事へと向かわせる。女性から尊敬されたいという気持ちが男性を仕事へ駆り立てる。

 それは精神的な高み、知的な鋭さを男性が女性にはない形で持っていること自体の女性への誇示欲求に根差す。

 しかし若いということはそれだけでなく、端的にペニスの勃起度、膨張率自体が女の精神と肉体に安堵を与える能力保持者としての愉悦こそが日々を支える(実は未だに私は精神よりそちらが常に優先している)。

 私も今ではすっかり健全な街に成り代わりつつある新宿の歌舞伎町で夜も更けていっていた時間に立ちん坊の女性から(かなりいい年配女性だった)手招きされ、その女性は私の股間をまさぐってきた。

 私はその時プロの女性を買いたいという気持ちで歩いていたから、当然そういった欲求が瞳に漂って他人からは見えたのだろう、彼女は曰くありげな瞳を私に遠目で注ぎ、私を手招きして、私は雑居ビルの一階から二階へ行く階段の踊り場付近でジッパーを下げて半勃起していたペニスを彼女の手に掴ませた。すると彼女は「具合が良さそうね」と言って耳打ちした。

 そして彼女は何処かの安い同伴喫茶か何かに私を連れ込み私の勃起したペニスを必死にフェラチオ(英語ではblowjobと言う)をし始めた。カウパー氏腺液が漂って頂点に達しつつあった勃起したペニスをしゃぶりながら、片手は私のホーデンを抱え、もう片方の手は下半身を愛しく弄りつつ撫でながら彼女は「貴方」と叫んでいた。亡くなった夫のことを回想しながら私のペニスをしゃぶっていたのかも知れない。その女性には向こうから私の下半身を貪る姿を見せて貰うだけのものであったが、それはそれで印象的なことであった。

 五反田で買ったデリヘル嬢(当時はホテトルとかマントル嬢などと言った。彼女は24歳と言っていたが、私がラヴホに来て貰う様に要請したのでホテトルだった)は一回戦で私がコンドームの中に果てたら、携帯電話(当時はポケベル的な代物だった)で事務所に電話して「これから帰ります」とボスに連絡していた。その時私は彼女が服を再び着始めた時徐に勃起してしまったので「もう、こんなになって」と言って私の下半身の頼もしさに対して、そっと再び手をズボンを再び装着した上から触れて愛しい潤んだ瞳を向けてくれた。

 こういう一言が男性には女性からかけて貰いたいことなのである。これが又翌日から仕事に男性を立ち向かわせるのだ。理屈なんて女の口から男は聴きたくはないのだ。

 その女性は大柄で健康的で肉感的女性だった。

 川崎か何処かで買った遊郭の女性は私をフェラチオをしているところ(その後に挿入させるべく)を私が自分自身の下半身を覗き込む様に顔を向けると「見ないでよ」と誓願した。こういう商売女の羞恥もたまらない。益々私は勃起度を強めてしまっていた。

 ある遊郭の女性は私が脱衣している女性を眺めていると、その態度に

「慣れている、なんかそういう感じよ」

と言って遊び慣れている男性にこれから抱かれるのだ、という不安と期待の入り混じった気持ちを私に差し向けたのだった。

 つまりこういった一言一言が実は性戯以外でも極めて重要なのである。フォアプレー(前戯)ということは愛撫や相手の皮膚への摩擦だけではないのだ。スキンシップ自体も実はこういった言葉の些細な遣り取りが煽情的気分を盛り上げ、性行為全体を常にクライマックスへと向けられた固有のしっとり感、つまり情感へと誘うのである。

 女性は却って悪女であってこそ、男性を奮い立たせるのかも知れない。

 悪女は良妻賢母にも居るし、風俗にも居る。セックスだけではない女性との関わりが男女には重要である。だから、たとえある時男性がインポテンツに突如見舞われても尚、それを意に返さない慎みを持った悪女で居て欲しい。

 若い女性はそれでは物足りず、男性のフニャチンに抗議するかも知れない。しかしその抗議もユーモラスにして欲しい。

 風俗通いをする男性はきっと、ソマンであっても名器であっても、そんなことを相手の女性に告げることはあるまい(恋人に対し「お前の膣は素晴らしい」と言うことはあっても)。それを安易に口に出す奴は下劣である。

 抱いたプロ女性は皆名器であると決め込んでいて初めて男は風俗で男になれる。それはそういう感謝で素晴らしいリフレッシュをする智恵として持っているべきことである。本当に感謝して女をそういう場所で抱くのなら、相手をどんな男性であっても受け入れてくれることに感謝して随喜の涙を男は女性に示すべきである。

 風俗では名器は予め存在するのではなく、言葉の遣り取りも含めて総合的な刹那的出会いの劇化によって創られるのである。

 今回は印象に残ったプロ女性との性技に挑む前と後での些細な言葉の遣り取りを追想してみた。

 次回は又学生時代に少し戻り、童貞を失う前のこと、そして失ってからの日々を回想してみよう。(つづく)

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