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2012年4月 4日 (水)

科学、芸術、文学そして哲学/スポーツ、ビジネス、政治Part2

 科学は何時の時代でも日常生活で実用的に応用されていて、去年の震災の様な非常事態の到来によって我々はエネルギー政策を真剣に見直そうとする様になった。核分裂による原子力発電システムに一本化される発電システムも、それを福島から東京迄送電するシステムも一挙に安定性に於いて瓦解せざるを得なくなった(日本の地震研究の専門家達は一から出直す様に強いられている)。

 東京都が東北被災地の瓦礫処理に一番に名乗りを挙げた事は、福島に発電を任せ、犠牲になって貰ったお返しであるが故にさして驚くほどのことはない。

 石原都知事の青春時代とは戦後闇市から日本が復興していく高度成長期であった。私の母はほんの少しだけ石原都知事より早く生まれているのでほぼ同世代である。私の母や石原都知事が青春期に娯楽の王様は映画であった。従ってその時代には小説で話題を呼んだものが映画化されることが一番の誉れであった。石原氏の書いた「太陽の季節」は弟の裕次郎や主演の長門裕之と石原氏自身も出演して話題を浚った。 参考Wikipedia 太陽の季節 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E9%99%BD%E3%81%AE%E5%AD%A3%E7%AF%80

 

 この時代に映画は全盛期だった。「太陽の季節」の上映された56年は私も未だ生まれていない。私は59年に生まれたが、私が五歳の時に東京オリンピックだった。この年が高度成長期の転換点となった。高速道路(首都高)が東京を張り巡らされたのもこの頃の事だ。

 そして時代は70年代に突入し、その初頭に大阪万博が開催された。三島が自決したのもこの年の事である。浅間山荘事件が勃発したのもこの頃の事である。 参考Wikipedia あさま山荘事件 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E9%96%93%E5%B1%B1%E8%8D%98%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 しかし時代は移り変わり、映画は唯一の娯楽ではなくなり、インヴェーダーゲームなどが台頭し、少し遅れてファミコンが登場した。その時代からオタク的な人間は居た。幼女誘拐殺人事件で一大センセーションを呼んだ宮崎勤はヴィデオオタクによる初の猟奇的殺人者であった。事件はバブル崩壊前夜の88年から89年にかけて起きている。 参考Wikipedia スペースインベーダー http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0 / 宮崎勤 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%B4%8E%E5%8B%A4 / http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%83%BB%E5%9F%BC%E7%8E%89%E9%80%A3%E7%B6%9A%E5%B9%BC%E5%A5%B3%E8%AA%98%E6%8B%90%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 大森一樹や石井聡互、長崎俊一等が一挙に世に出た70年代後半から80年代前半は作家では村上龍が大きな話題を浚っていた。原田芳雄とも親密だった作家、中上健次は村上龍の前年に芥川賞を受賞していて、龍の後に池田満寿夫、少し送れて尾辻克彦、唐十郎等が受賞した。要するにアート畑、デザイン畑、演劇畑の人達が挙って芥川賞を受賞して話題を浚った十年程のムーヴメントの中でインディーズ系の映画が青年の心(私くらいの世代)を捕らえた。例えば大藪春彦の様なハードボイルド作家の作品「蘇る金狼」が村川透監督のメガホンによって松田優作の主演で映画化されるが、この映画は角川映画であった。角川春樹が映画界に巻き起こしたムーヴメントは映画専門ではなかった出版社の社長にして俳人である角川氏の手になる、という意味で大きな話題を浚った。昨今常に話題に主であり続けてきた 黛まどか などの様なスター俳人が輩出する背景には明らかに角川氏のよる句会が話題小説の映画化と共に時代の花形に躍り出たことも大いに寄与している。 参考Wikipedia 大藪春彦 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%97%AA%E6%98%A5%E5%BD%A6 / 蘇る金狼 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%87%E3%81%88%E3%82%8B%E9%87%91%E7%8B%BC / 村川透 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E5%B7%9D%E9%80%8F / 松田優作 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E7%94%B0%E5%84%AA%E4%BD%9C / 角川映画 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%92%E5%B7%9D%E6%98%A0%E7%94%BB / 角川春樹 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%92%E5%B7%9D%E6%98%A5%E6%A8%B9 

 インディーズ系の映画によって鈴木清順がカムバックして話題を呼んだ80年代は次第にバブルの嵐に巻き込まれていく。芸能界はそういった時代の彩りを添えるかの如く、松田聖子、河合奈保子、本田美奈子、そして映画界とその主題歌をシナジーで売った薬師丸ひろ子(角川ファミリー)、作曲家とか作詞家の仕掛け人として松本隆、大滝詠一といった存在が異彩を放った。寺尾聡、小林明子、シュガー(「ウェディング・ベル」81年)といった人達が、そしてシーナ・アンド・ロケット等のシンガー達、そしてイエロー・マジック・オーケストラが世界を席捲をしたのも1980年だった。テクノポップが一大ブームとなってバブル前夜を彩った。ジューシイ・フルーツによる「ジェニーがご機嫌ななめ」がヒットしたのもこの年である。その年にはビル・エヴァンス、サルトル、ヘンリー・ミラー、ヒッチコック、チトー、スティーヴ・マックィーン、ピーター・セラーズ、ジョン・ボーナム、越路吹雪、大塚はくどう等が亡くなり、師走にジョン・レノンが凶弾に倒れ、一つの時代の終焉を感じさせた。

 今世界的にも注目を集めているAKB48の様な入れ替わり立ち代りメンバー卒業で新メンバーを加入させるシステムの先駆けとしておニャン子クラブが秋元康によって仕掛けられていったのもこの80年代中盤の85年であった。

参考Wikipedia テクノポップ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%AF%E3%83%8E%E3%83%9D%E3%83%83%E3%83%97 / ジェニーはご機嫌ななめ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%81%AF%E3%81%94%E6%A9%9F%E5%AB%8C%E3%81%AA%E3%81%AA%E3%82%81 / ジューシイ・フルーツ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%84 / Youtube ジェニーはご機嫌ななめ ジューシイ・フルーツ http://www.youtube.com/watch?v=wMAO9ySgQLA / イエロー・マジック・オーケストラ    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%B8%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9 / Youtube ウェディングベル シュガー http://www.youtube.com/watch?v=RXpyrX8Q3Gc /  おニャン子クラブ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%83%8B%E3%83%A3%E3%83%B3%E5%AD%90%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%96 / 小林明子 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9E%97%E6%98%8E%E5%AD%90

 この時代にテレビではミュージシャン、映画監督、映画俳優、お笑い芸人(お笑いブームも80年代初頭である。そのウェイヴで世に出たビートたけしは後年「戦場のメリークリスマス」<大島渚監督>で助演を務め、世界的に知られ、更にバブル絶頂期に映画監督としてデビューする。尚件の大島映画では坂本龍一が音楽と助演を担当している)等が挙って作家達と共に出演して時代の彩りを添えた。 参考Wikipedia お笑いブーム http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E7%AC%91%E3%81%84%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%A0

 しかし時代は90年代初頭くらいからバブルがまず東南アジアで弾け日本にも波及した。時代の花形であった映画スター達、監督やミュージシャン達に入れ替わって次第に学者達(主にポストモダン思想系の社会学者や哲学者、例えば宮台真司、鷲田清一といった人達)がポストモダンブームから哲学ブームなどの到来によって多く登場する様になった。或いはそれらさえ次第に影を潜めていく中から脳科学者である茂木健一郎などが時代の寵児になっていったのがつい数年前である。それより少し前に東浩紀が世に出、分析哲学が紹介され始めたのもウィトゲンシュタインブームとなった70~80年代よりかなり遅れた90年代以降である。現象学はずっと早くポストモダン系思想家達によって日本に紹介されていた。

 そういったムーヴメントの中で次第に作家は余り頻繁にはテレビに登場しなくなっていく。それは映画監督や映画スターが次第に一部のカルト的ファン、オタク達のものになっていくプロセスとほぼ時代的には一致している。中でも角川商法との密接な関係で初期に売った村上龍はあざとく時代を読んで後に「13歳のハローワーク」などで話題を浚う下地としてネットなどで経済関係の取材をする様になっていく。 参考Wikipedia 13歳のハローワーク http://ja.wikipedia.org/wiki/13%E6%AD%B3%E3%81%AE%E3%83%8F%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%AF

 その時代辺り(つまり80年代後半から90年代くらい迄)から作家、つまり文学者(歌人、俳人を含む)は散発的に 吉本ばなな とか 俵万智 といった存在が席捲したものの、全体的には角川春樹の凋落(コカイン使用で逮捕されるなどの一連の事件。俳優の松田優作は角川氏の麻薬使用を知っていて止める様に働きかけていた)なども伴って次第に文学者が時代をリードするという事自体が希薄化していった。その事は村上龍によっても述べられていた。

 それに変わって時代を席捲しだしたのがIT関連の企業家達であった。彼らはアメリカのジョブズとゲイツを中心としたネット企業家のウェイヴの日本への波及から齎されたが、言うまでもなく孫正義はもっと早くからアメリカに渡りゲイツらと交流していた。続いて三木谷浩史、堀江貴文といった存在が球団を買い取るとかテレビ局を買い取るとかいうことで時代の寵児となっていった。その時代に小泉政権が誕生し、小泉竹中路線が日本を席捲した。

 参考Wikipedia 孫正義 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%AB%E6%AD%A3%E7%BE%A9 / 三木谷浩史 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%9C%A8%E8%B0%B7%E6%B5%A9%E5%8F%B2 / 堀江貴文 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%80%E6%B1%9F%E8%B2%B4%E6%96%87 / 小泉純一郎 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%B3%89%E7%B4%94%E4%B8%80%E9%83%8E / 小泉内閣 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%B3%89%E7%B4%94%E4%B8%80%E9%83%8E%E6%94%BF%E6%A8%A9

 その後の時代はご存知のとおりである。

 文学をもし一言で時代的意味合いから定義するとしたら、「前時代的なロマンを追い求める、アナクロ的な精神的特権貴族による仕事」という形容語彙が既に芥川賞などの世界では相応しい。今テレビにユニクロの柳井社長や様々な企業家達が社会学者達(彼等は企業家同様青年世代の代弁者となっている)と共に出演する割りには作家は多く登場しなくなってから久しい。だからこそ西村賢太や田中慎弥などの存在が最近新鮮に映ったのである。しかし恐らく未来永劫哲学が時代をリードすることもない様な意味で文学も又時代をリードする推進役にはならないだろう。

 時代をリードするのは既にウェブサイト、サイバースペースでメッセージを維持する立場の人達、そしてユニクロの柳井社長やソフトバンクの孫社長などの様な一部の企業家達である。 参考Wikipedia 柳井正 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E4%BA%95%E6%AD%A3

 映画はこれからもずっと存在し続けるだろう。しかし今述べた様なウェブサイトビジネス程の大きさ(かつて娯楽の帝王であった様な隆盛)を勝ち得ることは最早ないだろう。音楽だってそれ自体が隆盛を極める事はないだろう。しかし寧ろ諸芸術分野や文化などは、そういうものであっていいのだ。でもやはりそれらは人間の心を潤すが故に必要なのだ。

現代の様な不確実な時代には却ってハイデガーの様な哲学者が見直されてきている。ハイデガーの研究者達にとって今稼ぎ時である(中にはこれからという時に亡くなった門脇俊介氏なども居た)。そして今哲学は思想的意味合いで一般市民からは注目を集めていると言ってよい。 参考Wikipedia マルティン・ハイデッガー http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AC%E3%83%BC / Martin Heidegger http://en.wikipedia.org/wiki/Martin_Heidegger

文学はその点ではかつて席捲した娯楽としてこれからも永続していくだろうが、ある時期からエンジニアとか異種業種の人達によってゲーム的リアリティを象徴的に表現する作家達(桜坂洋等によっても支えられてきた。そのウェイヴからライトノベルなども注目を集める様になっていったわけだ)により青年世代に啓発したりしたムーヴメント全体が牽引してきたという要素も強い。 参考Wikipedia 桜坂洋 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%9C%E5%9D%82%E6%B4%8B / 

 文学も又映画やウェブサイト同様時代を反映する。この点ではある意味では文学はもう変わらず昔のままでよい、という考えと、否新しいウェイブは映画で昔ヌーヴェルヴァーグとかアメリカンニューシネマが時代をリードした様な意味である筈だ、という考えとが錯綜している。例えばアンチロマンなどは一時代にはベケットなどの演劇実験的クリエーションなどに似た実験的意図によって世に出たが、今再び注目を集め始めている(アラン・ロブ=グリエが最近死去したことも手伝っている)。 参考Wikipedia ヌーヴェルヴァーグ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8C%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B0 / 

Nouvelle Vague (film)

Un article de Wikipédia, l'encyclopédie libre. http://fr.wikipedia.org/wiki/Nouvelle_Vague_(film) / アメリカン・ニューシネマ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%8D%E3%83%9E / New Hollywood  http://en.wikipedia.org/wiki/New_Hollywood / アラン・ロブ=グリエ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%96%EF%BC%9D%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%82%A8 / Alain Robbe-Grillet  http://en.wikipedia.org/wiki/Alain_Robbe-Grillet / Nouveau roman  http://en.wikipedia.org/wiki/Nouveau_Roman / ヌーヴォー・ロマン 

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 又哲学者でも文学は哲学とは全く異なった分野であると考える分析哲学者の一部(認知科学などと相補的に仕事をしている人達)と、そうではないと考える人達とに分かれるだろう。実際分析哲学や現象学という区分けだけでない個々の哲学者達によるそれぞれの実験は文学的エッセンスに彩られていると言ってもよい。トマス・ネーゲル、デレク・パーフイット、永井均などがその好例である。参考Wikipedia トマス・ネーゲル http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%AB  / Thomas Nagel  http://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Nagel / Derek Parfit  http://en.wikipedia.org/wiki/Derek_Parfit

 

 既に何か全体的に文学はこうで、哲学はこうだ、ということなど最早存在せず、個々の文学者達や哲学者達が勝手に周囲にカリスマ力を波及させるという時代に突入している、と捉えることも出来る。

 そして私達一人一人も各自のサイバーステーションの獲得によって自己メッセージを発信していく時代に入っている。従って分析哲学であれ現象学であれそれら学術的潮流も今後益々サイバースペースでのネットウェイヴと無縁では居られないだろう(その点に関しては最近次の記事を別ブログでも書いたので参照されたし)。 http://entityandmeaning.blogspot.jp/2012/04/blog-post.html <存在と意味 第二部 日常性と形而上性 第七章 第七章 家族観の固定化と教育に見られる親のエゴイズム、そして他者と自己、素の自分なんてない①

 次回はアートと音楽との関係を考えてみたい。

 付記 ロブ=グリエは小説家であると同時に映画監督だった。この手のアプローチを何処かで池田満寿夫は模倣していた部分もあったが、寺山修司もロブ=グリエ的タイプの天才だった。寺山がフランスで高く評価されていたという事もそういう事は手伝っていただろう。要するに文学は時代とか時代を映す映画と不可分にある、という事はこれからもそうだろう。東野圭吾の「白夜行」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E5%A4%9C%E8%A1%8Cなどもそうだし、吉田修一の「悪人」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E4%BA%BA_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)、角田光代の「八日目の蝉」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%97%A5%E7%9B%AE%E3%81%AE%E8%9D%89なども全て映画化された。

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コメント

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