« 今世の中では何が求められているかPart3 | トップページ | 言葉の慣用性とは何か?Part75 音感と意味のマッチング(22) »

2012年4月25日 (水)

何故「猫に小判」と言って「犬に小判」と言わないのか?

 私は諺の由来を全く知らない。しかし今の時代でもこうであるから、きっと昔の人はこう考えたのではないか、という事で本記事は書こうと思う。

 要するに犬と猫とは色々な面で、両方とも人間にとっては可愛いペットになり得る動物なのだが、対極的だとは言えるのだ。

 参考Wikipedia イヌ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8A%AC / ネコ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%82%B3

 例えば犬はどんな時でも飼い主に忠実な僕である。だから何かを放り投げたらそれを即座に口に加えて取ってくる。しかし猫はそういう事を余りしない。勿論そういう風に仕付ければ出来ない事はないのだろうが、自分の気分次第でしたい時には勝手にするし、したくない時は人間がそうしろと望んでも絶対にしない。

 だからそれは要するに「我が道を行く」という意味で人間が彼等へ良かれと思ってする事全てを比較的簡単に無視して自分自身の気分にだけ忠実である、という意味で仮に人間にとって小判は、つまりお金は大事なものであっても、彼等にとっては何らそんなものに価値はない、という意味で猫に小判をあげる事が如何に無意味であるか承知の上で「そんなものをあいつにあげたって猫に小判だよ」と言う事となったわけだろう。

 犬に小判ともし言ったなら、彼等だって猫同様その価値はよく分からないに決まっているにも関わらず、何処か人間に合わせて嬉しい振りをするとか、要するに人間に合わせるという可能性は十分にあり得るのだ。

 だから犬に小判と言うと、そのものの価値が分からない人にそれを与えたり伝えたりする事の無意味さは伝わらない、とは言えるかも知れない。

 要するに相手が容易にこちらの意図を強要する事も出来ず、手懐けられないというその事が極めてこの諺では重要な要素ではないだろうか?

 犬は端的に手懐ける事がしやすいし、それが目的で飼っている人は多い。つまり容易に手懐けられる動物を可愛いと思うか、自分の思い通りに勝手気侭にしたい動物を可愛いと思うかという人間の側の、これも又エゴイスティックな選択なのだが、要するにその趣味の問題によって、よく言われる犬派とか猫派といった事に分かれていくとは言えるだろう。

 犬が家畜化されたのはかなり歴史的には古いが、猫の方が更にそれより古くエジプトでまず飼われていたという事も言われているが、その祖先はミアキスとか犬や猫全ての共通した祖先がある、とも考えられているが、尤もこのミアキスという種はアシカ等も含めたもっと広範囲の祖動物であるらしいので、如何に我々自身が知る範囲でも様々な可愛さをこの祖動物の子孫達が我々に与えていると言う事も出来る。

 古代の人達も、やはり我々と同じ様にこの動物は人間にとって親しみを持ちやすく、他のある動物はどうしても生理的に受け付けられないとか受け付け難いという風に判断していただろう。もしそうでなかったなら、どんな動物でも等しくペットにされていただろうが、如何に個人的に私は鰐が好きだとかハイエナが好きだと言ったところで、それを容易にペットに出来るかというと、そうも行かないだろう。スカヴェンジャー(scavenger、死肉漁りをして生活する動物種)を人間が飼うには多大のロスを日常生活上で蒙るだろう。第一周囲に生活する人達が異臭に耐えられないだろう。

 犬が最初から今の様な人間に従順な動物であったわけではないだろう。最初は狼であったものをその中でも時々人間に懐くタイプの個体もあって、それを忍耐強く躾けて次第に人間に従順で放牧する人達等がそれを羊や牛等を誘導する手助けをする種へと育種していったのだろう。そして何時の日からか犬は人間に忠実な僕となっていったわけだ。だから「あいつは~の犬だ」と言う風に忠実な部下とか手下を自分に対してなら自らの手下を卑下し、他人に対してならその者の手下を侮蔑してそう言う様にもなっていったわけだ。

 一方猫はそうではなく、あくまで何かの目的の為に飼うというのではなく、ある部分では人間と「対等な」コミュニケーションパートナーとして愛玩してきた人達が居たというわけである。

 私自身は私が育った家庭で私が中学生頃から比較的最近迄ずっと猫を何匹かある時期は数匹をいっぺんに飼ってきたという歴史があるので、完全なる猫派であるが、犬も見ていて可愛いと思える事は思えるから犬には全く関心がないというわけではないが、犬は必ず散歩に一日の内一回は連れて出なければストレスが溜まるので、そういった意味では飼うという事は一大決心である。

 その点猫は楽であるが、屋内で用も足すので、猫砂を買って来てそこに用を足す様に躾けなければいけない、という事が大変なくらいである。

 貴方は犬と猫とどちらが好きですか?

 付記 ところで猫だってちゃんと飼い主には懐きますよ。そう言った意味では「犬は人に付き、猫は家に付く」という謂いも必ずしも真実をついている言葉とは言えないのではないか、とは長年猫を飼ってきた私からの意見である。ところで「あいつも食えない男だよな」と言えば、最初は巧く手懐けられると思っていたら思いの他思い通りに行かない奴だったという事を意味するから、当然ある意味では貶す相手の騙され難さへの賛美をも含んだ皮肉である。そういった意味では猫はまさに、唯手懐けたいと考えて飼うのなら(猫固有の自由気侭さというものを全く知らずに飼うのなら)食えないペットである。(Nameless-value)

 参考Wikipedia ミアキス http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%A2%E3%82%AD%E3%82%B9

|

« 今世の中では何が求められているかPart3 | トップページ | 言葉の慣用性とは何か?Part75 音感と意味のマッチング(22) »

コメント

犬に小判もあるそうです

投稿: 中村もんた | 2013年1月22日 (火) 13時20分

ええ、あるみたいですね、僕も検索で知りました。尤もこの方がマイナーですし、断言はできませんが、もし猫ヴァージョンのパロディ的意図で言われているのなら、僕のこの記事の主旨も間違ってはいないとは言えます。尤も厳密に調べようとも今の所はありません。
今自分の研究の方に忙しいものですから。中村さんの方で何か分かり次第又コメントをくだされば幸いです。

投稿: Nameless-value | 2013年1月22日 (火) 21時29分

犬に小判は猫に小判とほぼ同じ意味です。
犬に小判が先に出来ましたが、猫に小判がいろはかるたに採用されたことで猫に小判の方が有名になったそうです。

投稿: 何でも屋の加代 | 2013年10月 6日 (日) 19時12分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/540889/54555113

この記事へのトラックバック一覧です: 何故「猫に小判」と言って「犬に小判」と言わないのか?:

« 今世の中では何が求められているかPart3 | トップページ | 言葉の慣用性とは何か?Part75 音感と意味のマッチング(22) »