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2014年7月22日 (火)

ホワイト・シャドー 第二回

 

オサムは何度も来て彼の作るカクテルを頼む客は二度目に来る前、最初に来た時に、又必ず来ると分かる。その時彼がカクテルを作ったその客は三度目だったが、最初は一人で来たが、三度目は二度目とは別の中年男性と来た。

 

その影はショウコにだけ付き纏うものだ、と書いた。これは彼女の妹の存在が大きく伸し掛かっている。ショウコが自殺したのは妹の存在が大きかったが、彼女の妹はそうではない。彼女にとって姉のショウコは頼りにもなったかも知れないが、彼女は生まれた時からずっと普通ではなかった。彼女は女性でもあったが、男性でもあったのだ。尤も彼女は生殖能力としては女性としても男性としても無かったかも知れない(と言うより未だに明確に普通の女性の様にメンスの経験もなければ、普通の男性の様に精通、射精の経験もなかったのだから)。

 

それは彼女の姉である一際感受性の強いアーティストとして生きる姉ショウコには妹の持って生まれた性的運命は大きかったが、当の本人である彼女にはそれ程ではなかったかも知れないからだ。生まれた時に眼そのものが存在せず生まれてきた人にとって、世界が見えるという事自体が全く、普通の人ならそうである様な意味とは根本的に違うからだ。

 

オサムは三度目に来たそのビジネスパーソンらしく男性が隣で飲む同僚か友人に対する言葉は印象的なものだった。何時も話の内容が心の中の何処かに引っかかるタイプの客とそうでない客はあった。そして不思議にもオサムがショウコと妹のソラと出会う事となったのも、その客がきっかけだったのだから。その事をオサムはショウコが自殺した後もずっと不定期ではあるものの、通い続けるその客には話す事は今の所はない、と言うかこれからも無いだろう。

 

その客は三度来ても自ら名乗らなかったし、オサムの名も聞かなかった。

 

三度目に来た時彼は隣の男性に女の好みに就いて話していた。何歳になってもそういう他愛の無い会話内容が意外と息抜きには重要である。それは青年期、事に血気盛んな二十代前半にはなかなか分からない(勿論時々よく分かる青年も居るけれど)。

 

「好きな女、芸能人で例えればって、言っても、一人一人全然違うのが女性だからさ、顔が誰それ風くらいしか言えないんだけどさ。俺の中に二人の自分が居て、一人は佐々木希みたいな感じの子を結婚する迄一度も手を出さずに大切に何時か迄とっておきたい、そうして居たいと思う自分でさ、別のもう一人の女性は沢尻エリカみたいで、余り躊躇することなく、向こうからも誘ってきて、それに意外と罪の意識なんて全く持たずに応じるっていう様な状況になれる女性を肉体的に、そう怒張する俺の一物を只管鎮めたいという思いを極自然に持ててしまう相手の様な女性が居るそういう自分があってさ、勿論これあくまでテレビドラマやコマーシャルを見て想像するイメージであって、佐々木希も凄くグラマーでいい身体しているし、今の例えも実際に二人と相対してみれば、逆かも知れないけどさ、要するに俺の言いたいのはそういう風な正反対の、今風の若者っぽく言えば真逆の女が好みとして、一方はプラトニック、他方はエロス享受的、エピキュリアン的生活にマッチした相手として二人居るっていうのが、全く事実関係とは別に心としては全く矛盾していないという様な事があるっていうことなんだよ。」

 

その男性の話を今ならオサムは、ショウコとソラを知って、語っていると即座に理解しただろうが、その時は未だこの性的に数奇な運命を背負った姉妹とは知り合っていなかったのだ。だがその中年男性は既に二人をよく知っていたのだ(それはずっと後でオサムがショウコとソラと知り合ってから知った)。彼の言う自己内の心の矛盾とは、ショウコがバイセクシュアルであり、ソラがトランスセクシュアルである事から彼女等との出会いでも感じてきた彼の偽らざる自分自身の心への投影でもあったのだ。

 

そしてその日オサムはこの名前を知らない客の口から、新宿二丁目のポルノショップ、めくるめくめるくまーる、という奇妙な店の存在を知るのだった。

オサムはそれ程二丁目界隈を熟知している訳ではなかったのだ。唯彼が口に出して臨席の男性の話題にした時、そう言えばそんな感じの余り外からは歩いていても目立たないその店がある、という事だけは脳裏の何処かに記憶している事をその眼前の二人の中年男性の会話からはっとした気持ちで聞いて思い出してくらいなら居たのだ。(つづき)

 

ホワイト・シャドー 第一回 http://poppyandbell.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-c710.html

 

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