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2016年3月11日 (金)

東日本大震災から五年経って

 東日本大震災から今日の午後二時四十分で五年となる。もう五年経ったのかという思いと、未だ五年しか経っていないのかという思いは常にその時に自分がどういう思いをしたか、どんな経験をしたかということに拠って時々で違うだろう。

 あの震災は阪神淡路大震災が近畿エリアの日本人に大きな精神的影響を与えた意味と同じ様に、東北や関東地方、北海道の被災地のエリアの日本人に大きな精神的影響を与えたこととなった。

 とりわけ大きな津波、真っ黒い怒涛の如き津波を間近に見て知っている人達にとって、それは大きな意味を持つ経験となった。今日もNHKテレビで特集されていたが、津波の猛威の中で居合わせた人が助けに応じられずに死なせてしまったことへ未だに大きな後悔の念を持ってトラウマとして消えないという話は多く聞かされる。近所の子供を助けていたので、女性の助けを要請する声に対して対応し切れず、その女性が一週間程後に遺体で発見されたことを知ったある男性はその時助けてあげられなかった苦悩を告白されていた。

 人間は基本的に努力したり、意志を負けずに信念を貫く通したりする生き物である。それがイエネコの様なペット、或いは哺乳類の野生動物と異なるところである。彼等は努力して何かをし遂げている訳ではない。努力や意志を貫徹する気持ちは理性的なものだからだ。

 だから却って自責の念に駆られ、何時迄も精神的に立ち直れないというケースも少なくなく生じてしまう。

 だが昨日のクローズアップ現代でゲストとして出演した天童荒太氏の仰る様に、震災で起きた悲惨な事実を時の過行く中で忘れてしまっていきそうだと自責の念に駆られることは、それ自体愛情が豊かであればこそ持てる気持ちなのだから、悪いことではないし、そういう気持ちで自分自身を責め過ぎない様にしていくべきだ、という考えは正しい。又、鎌田實氏の主張する様に「がんばらない、諦めない」という心の持ちようは極めて重要ではないだろうか?

 津波は自然物理的なメカニズムとして第一波から第三波迄押し寄せることはよく分かったし、後になればなる程、一波以降蓄積された津波の残余が後発の津波に加わり威力を増すこと、そして津波が沖合へ引くその力が並々ならぬ猛威が在ることもよく分かった。

 津波は沿岸へ迫れば迫る程、地底の土砂を多く含み、言ってみれば陸上へ到達する頃には押し寄せるコンクリートの様な硬度を持っている。大半の人達はそれに全身浸かってしまうことで窒息して亡くなった訳だが、津波のメカニズムがある程度分かってきた今後、我々は出来るだけ高台へ避難することが求められている、と言える。

 私はあの日あの時(311日金曜日午後二時四十分)箱根に在る美術館でアンリ・ルソーの展覧会を鑑賞する為に一泊を予定して箱根に出向き、鑑賞目的を達した後、芦ノ湖で遊覧船に乗り楽しんだ後、元箱根の船着き場に降りて、其処から一泊するホテルへ向かうバスに乗り込もうとしていた時にがたがたと震度六程の揺れに見舞われた。その日はホテルでは一番楽しみにしていた温泉湯が地震のせいで停止してしまい、入ることが出来ないでいた。通常の浴場で身体を休めたが、終日放映される東北被災地の映像に大きな衝撃を受けた。九十九里浜や千葉海浜地区に迄及び、沿岸エリアの火災状況が具に映像で送り届られていた。

 それ以後計画停電をはじめ物資が予定通りには届かないという緊急事態がかなり長く続いたことを今もよく覚えている。つい数日後に京都・奈良旅行を計画していたが、急遽中止し、今後の対策を練ったりした。

 関東地方では千葉県が最も津波被害は大きく受け、震度自体は神奈川県、とりわけ横浜で大きかった。海浜エリアが甚大な被害を受けたことは地震のメカニズムからも納得は行く。

 日本が或る意味では生存ということ自体が稀有の真実には感謝の念を捧げるべきことであるということを、あの震災体験以上に我々に教えてくれたことは無かったのではないだろうか?

 政権は震災後二年目に交代した訳だが、安倍総理は自民党が与党になってからようやく復興のグランドデザインが出来たと強調していたが、民主党政権でなく、一度も政権交代をしていず、ずっと自民党が与党だったなら、もっと対応が遅れた可能性は否めない。あくまで自民党はあの時の民主党政権(当時は菅総理の政権だったが)への反省的地点からスタートすることが出来たというだけのことだと思う。

 来月青春切符とかを購入して被災地の二度目の旅に赴く予定だが、今回は名取・閖上地区、石巻市、女川町、気仙沼市、陸前高田市等の被災沿岸エリアを中心に回る予定である(帰路で再度福島第一原発エリアも訪れる)。

 安倍政権は東京五輪(2020)迄に常磐線の復旧を宣言したが、現在普通の区域でも徐々に除染作業が進行し、福島第一原発内でも防護服を着用しなくても大丈夫な迄にはなったし、帰還困難区域にも戻ってこられる様にはなった。しかし震災が起きる以前の活気に戻ることは未だ当分難しいだろう。亡くなった人達や他エリアへ引っ越しして戻ってこない人を含めると、完全に地方自治体機能が健全な状態へ戻るのには未だ数年は最低必要かも知れない。

 地域住民の生活が正常なレヴェルに戻ることとは、復旧してインフラが正常に機能するだけでなく、より精神的レヴェルで前向きになれる迄達成されたとは言えない。つまり個々人の大きな精神的な外傷に対してどう向き合っていくかということが切に求められている。

 私の住む埼玉県では幸い震災被害は一番関東地方では小さかった(群馬県や栃木県も茨城県や千葉県よりは被害は小さかった)。その点では地の利的にはあの時は感謝したけれど、富士山も箱根山も近いので、何時なんどき、東日本大震災クラスの大地震が首都圏直下型や伊豆沖地震等で起きる可能性は極めて高い。その時の為の備蓄を自分なりに此処数年考えてきたが、又改めて本格的に考えていかなければいけないだろう。南海トラフも含めて日本列島全体が地震列島なので、各エリア同士の緊密な連絡が重要となっていくだろう。近年、阿蘇山、桜島他九州から御岳山等の中京地区に至る迄活発化してきている地下活動に対して、どの様に対処していくべきかは全国的な規模で考えていく必要性が在る。

 実践的な学術研究として地震学や地学、地球物理学等が益々需要を増していくだろう。

 昨日の記事で哲学が思想的意味付けがなければ意味はないと述べたが、どんな学術でも目的意識は必要である。つまり余りに現実から遊離したメタ的な意識だけでは駄目だと考える。つまり実践的な目的意識を常に随伴させて行わなければ、それは却って思想的には危険だと言いたい。実用性だけが至上命題ではないということは学術でも文藝でも言えることだが、実用性も極めて重要だとも再度言い返すことも出来る。つまり形而上的意義自体が、そういった実践応用可能性を含有したものでない限り、それは特権的な知の遊びとなってしまう。その点だけは充分どんな専門家も心しておくべきではないだろうか?

 何故なら我々人類は何等かの形でどんな専門に従事していても、説明責任が在って、当事者のサークルの外へ発信していかなければいけないし、そういった内外の交流やコミュニケーションが無いなら、それは人類の営みとは言えないからである。

 その点でも五年前のあの震災から我々は人類全体の協働性ということに大きな意義を見出したと言えるのではないか?大きな悲しみや傷も残した大きな出来事であったが、それを教訓に、社会全体もそうだし、個々人のレヴェルでも内的に絶えず緊密なコミュニケーションを取り合うという必要性に日本は目覚めた、そういう機会を与えられたと考えていくべきではないだろうか?

 来月の旅では地域コミュニティを具に見てこようと思っているし、実際に前回より地元で活動されている人達とコミュニケーションをもっと多く取ろうと考えている。再度本ブログでも写真を交えて伝えていくこととなるだろう。

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