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2016年12月30日 (金)

社会批評と思想から導かれるブッダ・ゲームの定義/行く所迄行く日本社会の本質Part1 今年の世相と報道リアルから読み取る

日本には実は国家全体を統一するヒエラルキーは存在しない。唯一皇室を設置していることで外交的な意味で特権的に象徴機能として統一を取り敢えず図っているだけである。日本は宗教対立も歴史上存在した。南北朝時代等である。再度それが大掛かりで行われたのは明治維新であった。だが廃仏毀釈が当時行われたものの、寺院全てが破壊されたわけではなかった。

〇つまり完全な革命を一度も履行しなかったということに於いて特異性は日本史にはある。それは相互不干渉主義的な各コミュニティ共存国家という暗黙の了解がこの国にはずっと存在し続けるという特異な現実を日本に与えてきたのだ。その点が中国の歴史と大いに異なるところである。中国では文化大革命に於いて寺院を徹底的に破壊した。そういった革命的な歴史の移行とは異なった日本史の在り方とは、一言で言えば安定と調和をこそ常に求めるという暗黙の了解で成立してきている。

〇その結果日本人には生活の知恵が異様に発達してきた。それが為政形態にも波及し、集団で独裁者を生まない様に皇室を利用して、調停的政治を中心に据えてきた。だがその常に不穏を生じさせまいとする、つまり革命を起こさせない様にする配慮、気遣いが固有の気兼ねや遠慮を美徳として定着させてきたので、必然的に大らかさには欠けるという固有の民族性を日本人に与えてきた。だから巧く行っている内は或る個人を最大限に応援するも、一度何か失態を起こすと途端に冷たい態度でその個人を集団から弾き出そうとする体質を集団全体にも与えてしまっている

経理等の細かい事務的な精確さには秀でていても、この情に於いて相手へ猶予を与える様な気遣いには欠ける、大らかさに欠ける集団全体の体質が企業から官庁、法人等にまで浸透していってしまい、高橋まつりさんの過労自殺を招聘したりもすれば、三浦九段が将棋ソフトを利用しているのではないかという疑惑を一度持ってしまうと、どの報道機関もマスコミも挙って窮地へと本人を追い込む以外の選択肢を持たなくなっていってしまい、果ては将棋連盟も勝負の出場停止を命じるという決定へと持ち込ませてしまう

そういった異様な一方向にだけ流れていってしまうことの背景には、日本人がエリートを尊敬する心情を持つ一方、他方ではエリートへ強烈な嫉妬をも介在させるという一般市民の感情を異様にくみ取るというメディアの体質もある。これはかなり異常なものであり、ちょっとした不倫さえ見逃さない報道体質を生んでいる。

新海誠監督作品『君の名は。』それ自体は秀逸な作品であると思えるが、一度それが世界的に興行成績を塗り替えると、異様にそれをフィーヴァさせて、それ以外のそこまでの興行成績を齎さない仕事を無視していくという固有の迎合的体質もマスコミにはあるのだ。

〇又敬語で「~させて戴きます」というフレーズを昨今日本人が多用しているが、この謙り過ぎの可笑しな敬語の使用の仕方には、多分に出る杭になりたくはないという思惑だけが見え隠れする。そこまで謙ることがないなら、責任を明示する趣になりはしないかという個人的懸念だけが心に立ち上がっているとしたら、監視国家的様相をどの個人も内心では巣食わせているのではないだろうか?それが異様なる皇室への尊崇的態度を皆が率先して表明する空気を生んでいる。

上記の様な見せしめ的な不倫や覚醒剤使用等の犯罪への措置(それによって仕事量を極端に減らされる人は数多い)には、個人の自由や権利より社会全体のモラルと調和と安定だけを希求する固有の禁欲的な滅私奉公を大きく持ち上げさせている。だが他方不倫も覚醒剤使用も無くなることはない、ということはガス抜きが社会全体で巧く作用していないということの証拠ではないだろうか?どこかで大政翼賛的な全国的規模の恣意的な統一(自然的ではない、いけいけどんどん的な暗黙の了解に起因する)を日本国民が強制的なモラルとして受容していっているということが言える。それは健全な社会という一切の不協和を極度に締め出そうとする空気だとは言えないだろうか?

そう思えてしまうことの方が強迫神経症なのではないかと見ることもできないことはないが、常に最悪のシナリオをも想定して社会全体を見るというスタンスも必要なのではないだろうか?

日本人にも中国人、韓国人、アメリカ人同様行くところまで行かないとなかなか反省しないという社会共同体全体が過熱して一方向へ流れていくという要素がある。それを釈迦ゲーム、或いはブッダゲームと呼ぼう。

しかし今年も明日で終わる。そういった意味では年が移り替われば、全てリセットするという気分にもなる。それが人間の一つの顕著な傾向性だ。だから本記事の様なものは、暫く新年になれば影を潜めるだろう。総括は今日迄である。明日は違う発想の記事になるだろう。それはそれでいい。しかしこの総括を時々読み直す時期も来年もきっとあるだろう。その意味でネガティヴにとことん認識していくというスタンスも(それだけでもいけないが)全く失くしてしまうべきではない

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