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2016年12月31日 (土)

君は一体本当に生きているって言えるのかい?

流れ流れてどこにも身を寄せる場を見出せない存在が至るところに漂っている。

まるでどこにも落ち着き先を見出せない霊魂の様に。

そうだ、どうせ生きていたって、心が死んでいるなら、生きている本当の意味なんて見出せないのさ。それを分かっていながら何もできずにいる君は本当に生きているって言えるのだろうか?

仮にそう心に問いかけてみても、日々のどうしようもない圧迫の中でただ忙しくしていなければいけない君は、漂っている無数の魂を見て見ぬふりをするだけだ。

世界があたかも予定調和的に全て巧く運用されていっているなんて、本当は世界中誰も信じてなんていやしないのに、それをあたかも皆納得しているって思いたいだけじゃないのかい?

もうそんな問い掛けをする時代は終わったって言いたい君の眼はしかしこう語っている。これでいいんだろうか、生きているだけでいいのだろうかってね。

性善説的にだけ行動したって、何も変わらないって確かに君もきっと知っている。でも何もできやしない歯痒さを君も重々承知している筈さ。

だから時々君は空を見上げて考えてみるんだ。空はずっと境目なく世界中どこまでも続いている。だから天だけは全てを見ているんだってね。

君は僕であり、僕は彼であり彼女であり皆でもある。

どんどん変わって行っているって思える部分は世の中ちっとも何も変わってやいやしなくて、ずっと同じ侭だと思っていることの方がずっとどんどん変わって行っているんだって、君もきっとどこかでは気付いているんだよね。

君が理屈っぽいことを考えられる余裕があるかないか、そういう考えがあってもそんなに可笑しいことじゃないと思えるか思えないかは、きっと君がどんな国に生活しているか、国を持たないかっていうこととはきっと全く違うことなんだ。

関係あるさ、と決めつける人って、そりゃどこにでもいるさ。でもやっぱ、それは問題なんかじゃないんだ。

違うんだよ、そういうことと、やっぱり。

 

君が君であることは、理屈でも実感だけでもないけれど、でも君が君として思う世界の中で、それが本当に生きているって言えるかどうかにかかっている。そしてそう常に問いかけることは立場とか立たされている状況からも変わってくるだろうけれど、やはりそれだけじゃないんだ。

世の中が政治だけでも経済だけでも法律だけでもない様に、きっと君が君であることはいつも変わりなくそうであることと、その時にだけそうであることとが重なってきっとあるんだ。そうに違いない。

流れ流され続けても何かにしがみついていることもあれば、ずっと同じ場所に居続けても流れ流されていることもある。

同じことをしているとか、ころころしていることを変えるとかそういうことでもないんだよ。それは生きていることのきっと表面の何かだけなんだ。

そういうことじゃないんだよ。漂っている魂は、見せかけで漂っている人の姿とは別なのさ。

ずっと変わりなくあり続けているって信じているだけでも魂は漂っているのかも知れないんだ。でもそれだって魂は魂さ。

それがいけないとかいけなくないとか、そういうことでもないんだよ、きっと。

船も列車もいろいろなところに連れて行ってくれるさ。でもずっと同じ船や列車に乗っているっていうことは変わりない。

毎日違うものを食べても、それは毎日同じ様に何か食べることなんだし、毎日違うことを考えても、毎日何かは考えるっていうことなんだからね。

ある状況である気分である考えや気持ちである言葉を聞いたり、その言葉の語りかけ方で感じたりした時いいって思えたり、逆にいいと思えなかったり、可笑しく思えたり、自然だと思えたり、そういうことだけなんだ。

例えばそういうことのあることは自分もだし自分以外のかなり大勢がそう思ったり思わなかったり、自分だけしか知らなくて何か思ったり、その時々で全く違うんだし、それでいいんだ。

全てが全てその時々で全く別々なのさ。

ただどんな時だって、自分は本当に生きているって言えるかっていうことだけなんだ。

君がそうであるかどうかはいつも君自身でどう思うかだけなんだし、それでいい、と言うよりそれ以外にあり得ない、何もね。

君は一体本当に生きているって言えるのかい?

それってきっと、直ぐには君にも分からないし、分かる必要もないんだよ。

だって僕だってよくは分からないんだからさ。

でもそれでも君は君で、僕は僕さ。

だって、それだけでいいじゃないか、それ以外に何も本当には分かることなんてありはしないんだからさ。

今日は、そうさ、漂っていても、どこにも行かずじっとしていても、君も君の、僕も僕の魂の在り処だけを、ちょっとじっくりと見つめてみようじゃないか。

夜は意外と長いんだから。

2016.12.30

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コメント

≪…ずっと変わりなくあり続けているって信じているだけでも魂は漂っているのかも知れないんだ。……≫の
≪…漂っている魂…≫を[人]に普遍な[数の言葉の自然数 1・2・3… に観る。

[数の言葉の自然数]を『モナド模様』で観る[数直線]は、歴史を刻む[DNA]のようだ。

『モナド模様』の自然数は、
[絵本]「もろはのつるぎ]で・・・

投稿: 自然数の日 | 2020年3月26日 (木) 13時58分

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