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2017年5月13日 (土)

書かれなかった詩、そして書かれなかった小説(後編)

書かれなかったからこそ心の中でいつまでも蟠り続けている詩の韻と展開、小説の結末。

でも詩も小説も終わらせたくない気持ちだけが、それらを書かさずにもいる。

 

永遠に書かれずに終える詩と小説だけが永遠の理想かも知れない。

 

誰もが書きたいのに書かずに済ませている心の詩と小説だけが常に永遠なのかも。

 

 

永遠に書かれないもののみが、誰にとっても如何様の言葉にも換えられ得る普遍の価値なのかも。(2017.5.1)

 

 

これから書かれる全ての詩、全ての小説の為の言葉は、どこかにひっそりと眠っている。どこにもないけれど、どこかにはあり得ることとして。

 

でもきっとそれらは誰かが発見するのだ。

誰かが一度それを発見して書いて示すと、そうだ、こんなこと考えたことがあるぞ、と多くの人が感じてしまう。

 

でもそれはどこかで誰かが一度は考えたけれど、書かれずに終わってしまったことなのだ。(2017.5.2

 

考えられたのに書かれない侭に放っておかれたことを見過ごせない魂が、きっとどこかで待っている。

待ってばかりじゃなくて、きっと探してもいる。

 

書かれればきっと素晴らしいのに書かれずにいる無数の考えがきっとあちこちに散らばっている。

 

だから僕たちはいつも宝の山、宝の海を頂いているのだ。(了)

2017. 5. 4

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