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2017年5月12日 (金)

書かれなかった詩、そして書かれなかった小説(前編)

かつて書こうと思って書けずに終わった無数の言葉たちが呻いている。

書きたいと思い、思いついた幾つもの詩が呻き声を上げている。

かつて書いていて途中で中断した数々の小説が悲鳴を上げている。

でもその書かれなかった詩の言葉や書き上げられなかった小説の文が互いに引き合い、今別の言葉となり、別の作品にして貰うのを待っている。

書かれなかった詩の言葉は、心の中に引かれた記憶のある線だ。

それは今も心のしじまを引き裂いている。

小説にするつもりだった文が詩になり、詩にするつもりだった言葉から小説が浮かぶ。

 

あの時考えたことはいつ迄も消えない心の線として、いつも頭の中を空間の拡がりの中でずばっとその拡がりを遮断する音を立てている。

それは目を瞑れば、鋭利な像が浮かび、キーン、ビーン、ギーン、ピーン、リーン、ミーンと音を立てている。

何度も何度も襲ってくるあの時心にはっきりと浮かび上がって突っ切ったこと。

心の中で音を立てて聴こえてくる絵。心の目に浮かび上がってくる見て感じられる音の連なり。

書かれなかったからこそ、いつ迄も鳴り止まず、いつ迄も像が消え去らない。

書いてくれ、書き続けてくれと叫ぶ途中迄書かれた文。

生々しく完成されない侭放置され続けている。

言ってくれ、話してくれと叫ぶ終ぞ口にしなかった言葉たち。

考えられもした筈なのに考えられずに終わった理屈。

生々しく発見されることなく、ひっそり、しかし確実にどこかに居座っている。(2017. 4. 29/修正5. 12

(後編へ続く)

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投稿: つねさん | 2017年6月 1日 (木) 08時15分

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