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2017年7月 7日 (金)

日記的記述EJ 夢で見て気が付いたこと

〇円のカンヴァスは四角いカンヴァスと違って四角の四隅を正確に床から平行に壁に展示しなければおかしいこととは違って、絵の内容そのものをベースに、例えばその絵が立像であるなら床からその描かれた人物が垂直になる様に展示しなければいけない。カンヴァスの形そのものであるなら、どう飾っても全く形は変わらないからである。

 だからこの場合制度としてのカンヴァスがどんな絵の内容であっても優先される四角のカンヴァスの展示と違って、絵の内容で飾り方、つまりどの絵の内容を上下にして、どの絵の内容を左右にするかという決定がカンヴァスの制度外の、しかも絵そのものに委ねられているという事態なのである。制度とはしかしこの場合絵の内容ということになるから、カンヴァスという形式が制度であることと意味を変えている。そしてそれは絵とは本来どういう意味を持つものなのかという問いが突き付けられているとも言える。

 

 付記 円のカンヴァスに敢えて歪んだ立像を描いた場合、作者は必ず最下点を展示係の人にも分かる様に印しておかなければいけない。

 

〇折り紙はかなり古くから日本で行われてきた高度な遊戯の一つである。ここで造られてきた折り方は、一人で考えられたものも中にはあるだろうが、かなり大勢の人達の知恵が集約されて進化してきたのだろう。そして重要なことは、その折り方があくまで二度同じ繰り返しがなく、最も効率的に一度で最大限の効果を持つ様な形の作り方になっているのだろう。

 

 同じ様に植物でも動物でも、進化していく上では、自然条件に沿って最も円滑に生命を維持し得る形で形や機能が決定されてきたのだろう。勿論工場の煤煙で隣接する森に生息する蝶々の色が変わってしまうという進化もあるけれど、それでもそれも又そういった環境の変化に適応した進化の仕方である筈である。つまり進化とは必ずどんなに短い期間に於いても長期間に於いても、そのスパンで変化していく方向に沿って、最も効率的な生命維持の仕方で為されていくものである筈であり、やはりそこでも二度手間は避けられている筈だ。

 

 してみると、自然自体が折り紙の最も良い折り方を発明してく様に、何等かの判断をしていることになる。それを古代より前から生活してきた人類が神と規定したのかも知れない。しかしダーウィン以来の進化論では神によるご判断でなく自然選択だと唱えてきたのだ。

 

 しかしこのことはもう一つ違う真理を我々に突き付ける。我々人類は言葉を駆使してコミュニケーションする唯一の生命とされているけれど、その時何をしても最も効率の良い方法を脳で考えるということそのものも又、自然が生命を進化させる上で取る判断とそれ程内実は変わりないということも言える。にも拘わらずとりわけ哲学では、あくまで人類が脳で言葉を駆使してものを考えるということを異様に特権化させて学術的営みをしてきたということも言えるのではないか?

 我々も又自然が判断しているのとそう変わりなく脳を駆使しているだけである。もしそれが違うと哲学が言うなら、やはり神を認めなければいけなくなる。だから哲学的思考とは必ず何等かの形で神を起源的に考えなければいけなくなる様になっている、とも言える。

 

 だから逆に神学という学問は我々の心が向かう在り方がたとえ実際に神が居ようと居まいと、神があり、それへ敬虔な気持ちであるべきだという倫理的な絶対的信仰の仕方そのものを問うものだということとなる。だからそれは或る部分ではやはり最も離れている様にも思える自然科学とさえ平行して歩まれている、そういう心の在り方の最も効率の良い捉え方が宗教史だと言えるからである。

 

 現代人はそういう意味では内的には宗教倫理的な訓戒をベースにする部分はあるけれど、社会インフラ的には自然科学の恩恵なしには生活できないという二重性を持って生活していると言うことができる。

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