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2017年7月 9日 (日)

日記的記述EK 世相や時代や自分自身の立たされている状況に懊悩するのは当たり前で、それができなかったり、隠蔽したりすることに意味はない

 日本の哲学者は多くが自分が立たされている時代状況や世相を異様に隠蔽することで初めて研究を成立させている。でもそれは本当に生きて何かに取り組んでいると言えるだろうか?

 哲学者だけでなく全ての研究者に、それは言えることである。つまり彼等は専門家としてだけ生きていこうとしているわけだが、その極度に狭められた心の持ち方に或る不自然さだけをずっと感じ続けてきた。

 哲学者は恐らく神と言う時だけ自分達の認識の不充分さを実感している。でもハイデガーは全盛期の『存在と時間』では神という語彙を示していない。代わりにそれを強く喚起する到来という語彙を示した。被投性もその一つだ(それは別シリーズで詳述する)。

 数学者は20世紀以来ずっと形式主義と直観主義で二元的に対立しつつ、歩まれてきたが、彼等は世界や宇宙は全て数へ置き換えられると確信しつつ、数自体の持つ自然的不可解さだけは超えられないと思っているだろう。彼等にとってそのことこそが神である。

 自然科学者はその法則に従って、只彼等は常に自然という実在と関わるので、その部分では自然全体の環境の中に居る自分ということは、少なくとも哲学者達よりはずっと自覚している。

 でも彼等は一切政治には関わるまいとする。あくまで彼等はその点では全員専門家でしかない。だからその部分では間接的に時代への提言を僅かするだけである。原爆が投下されたことでアインシュタインが世界の科学者へ呼びかける様なことがあったくらいで、それ以外に彼等が主体的に行動することはない。

 その点では確かに作家や映画監督や舞台演出家も同じだろう。彼等も時代の不安感を作品の中の出来事や登場人物の行動で間接的に示すのみだ。

 だが詩人は最も言葉のメッセージでそれを伝えられる。これは一つの生きていることの大きな武器ではないだろうか?

 私の場合には対象への呼びかけ、そして詩を読む人へ命令形も使う。それ程アジテーション的な仕方ではないが、時にはそういうことが在っていいとも思う。それくらいにはアナーキーに時代と世相の中にいることだけはきちんと示す。

 要するに一番取りたくない態度とは、揶揄と皮肉だけで巧妙に知的な読者にしか理解できない様なスノビッシュな態度で超然としていて、その隠蔽の巧さをひけらかすことである。これは若いさして力のない論客のよく取る態度である。自分自身は遠く問題から距離をとって、被害を受けない様にしている狡さがある。隠蔽したり、隠れていたりする時間的空間的余裕は少なくも私には全くない。

 一度日本語で書いた詩をほぼ全て英語にも翻訳する様に今年からしだした。中には最初思いつくのが英語の方もあるし、そういう場合、同じ内容を日本語でも書いても、英語の方がいい出来であることも決して少なくない。

 主にアメリカ人(中にはカナダ人もいる)の参加する或るサイトに招待され参加して、そこでアップロードしている。かなり大勢の人にも読まれ、シェアされているので嬉しいことである。

 日本語の詩は大半は河口ミカルの読書日記(ブログ左下のその表示の四つ下をクリックされたし)でアップし、英語の詩はexamplewordpresscom1616でアップしている。時々日本語の詩はこのブログの左下のココログのマークとその下の河口ミカルの読書日記の直ぐ下のlovehatehimのblogでもアップしているので、スクロールして確かめられたい。

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