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2017年7月 4日 (火)

文学・宗教メモPart5 詩作に就いて

〇詩を書いていくために一つの方向性を持たせている。一つは自分が日本人であることから、普通に感じる自然と身体を通した経験的な観想を示していくことである。それはしかし自然信仰的なものでもない。気づかぬ内にそういう八百万の神的感性が出ない様にしている。そもそもそういう感性は私の中には濃厚にはない。何故なら現代日本人だからだ。伝統的に自国に伝わっているものと現代人との間には決定的な距離がある。それは心理的にもそうだ。

 

〇だからと言って近現代の英語詩を容易に理解できるわけではない。それには聖書以来の伝統、一つのキリスト教文化圏でこそ成立する所作が存在する。16行詩のソネットもそうだし、あらゆる戯曲や歴史書の伝統も詩と関係している。つまりそういう一連の大きな流れの中に彼等は居るし、その流れの或る一点である様な時代で書いている。でも彼等は大きな流れの中の一つだといつも自覚しているわけではない。そういう時は人生の最後に多いだろうが、ほんの数回くらいしかないだろう。それは自分のことを考えてみてもよく分かる。常に今どうしていくか、どうなるかしか念頭にはないのだから。

 

〇つまりそういう風に自己を決して客観的には見られないという運命を誰しもが背負っている訳だが、それでもあえてそれを挙行しようという大それた試みも時には詩には宿っている。それが全てではないが。

 

詩を書く上で重要なことの一つは何を主語にするかだし、その主語を規定するものとは一体何かということの問いである。神ということは確かに日本民族には無い。従って国家や我々の周囲にそういう問い掛けを平常のこととする何ものも存在しない。にも関わらず現代を生きる我々は多くの隣人達がそういう信仰を持って生きていると知っているし、少なくともキリスト教世界観は馴染みから言えば、それ以外のイスラム教よりは大きいと言える。インドのヒンドゥー教も何となく日本人なら分かるという部分もある。一神教神や多神教的神も同時に登場させてもいい。だが自分にはどちらかと言えば一神教的神の方に全体を通した詩への捧げという意識では強い。

 

詩人の多くには労働というものの痕跡がないことの方が多い。それは哲学者にも言える。神学者は大体神父や牧師をしながらなので、人の話を聴くという労働を読み取ることができる。ハイデガーの哲学にはその哲学を考える人の労働も読み取れる。思考の労働でもあるけれど、それ以外の通常の労働もである。これは日本の哲学者には全く欠落した要素だし、それが意外と重要だけれど、殆どの人は着目すらしていない。

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