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2021年3月

2021年3月31日 (水)

日本へ感じていることPart2

最近世界全体で起きていることから、逆に日本を振り返ってみよう。

 

つい先日、中国首脳が彼等にとっては比較的地理的に近く楽に移動できるアラスカで米国首脳と会談が行われた。その時二国の相互に譲り合わない姿勢と態度に、或る滑稽さを私は感じ取ったのだ。それは二国とも井の中の蛙の様に見えたからである。

そのことは当然ウイグル族やチベット族への(まあ、その点ではモンゴル族の方が巧く溶け込んでいるのか、酷い国家からの仕打ちの様な情報は多くは入手されないとも思えるも、内情は分らない)全人代全体主義的政治決断にも、アメリカ国内のアジア人への言われなき暴行(それは白人からだけでなく、二番目にあの国で古い移民である黒人からもである)からも、環太平洋地域国家全体が、或る種の部族社会的前近代性へ意識の上で逆行してきているのではないかと最近ずっと感じているのだ。

そして日本は、欧州ほぼ全ての国、アフリカ、中東、中南米でもう中国との関係が今やアメリカ以上に重要性を持ってきて、各種の調停を結んでいるにも関わらず、相変わらずアメリカの対中軍事戦略の片棒担ぎにだけ誇りを抱いている、そのていたらくからも、米中韓より始末が悪いと感じさせる。フランスも英国もドイツも中国との貿易交渉は最重要であるが、彼等はアメリカや日本より中国を客観的にみられる立場に地理的にも歴史的にも立てるという利点があるからとも言えて、日本はその点では隣国なので、事情は確かに違う。でも今も英語オンリーの語学教育自体も、もう時代遅れという意識さえ日本人全体にも政府にもない(その点では二階自民党幹事長の考えの方が正しい)。

 

率直数年以内に一度中国はGDP世界一になるだろう。尤もその期間が十年以上続くとも思えない。でも兎に角三年から五年位はそういう時期も今後時々来る様になるだろう。アメリカがそう易々とずっと中国に一位の座を明け渡すとも思えないからだ。でも当然この二国が今後抜きつ抜かれつの関係で平行するだろう。

従って政治意識的にも個人の市民としての覚悟の上でも、対中的な偏見を取り除いていかなければ世界全体からも日本の意識は立ち遅れ、且つアメリカからもいい様に自分のいいなりになると思われていくという事は、決定的に言えるのである。

つまり、ずばり今の日本はアメリカへの批判もすべきであれば、中国への嫌悪感情も克服していかなければいけないのだ。

ところで、中国のウイグル族への異様なる締め付けは、歴史的にもタタールの軛と言って、司馬遼太郎の小説でも描かれているが、ムスリム系民族からの度々の侵略からもある程度民族史的には仕方ない面もあるのだ。中国も確かにあの虐待の件では悪いが、周辺に広がるモスリム国家群の歴史的な行動にも問題はあるのである。恐らく打開策として現状ではトルコ等の一定の国力のある国の調停がウイグル族市民と中国政府との間で必要であるとだけ今は言えるだろう。

 

(つづき)

 

Mar. 31st.   2021

 

MEMO; 今日は一気に二回連即してアップしたが、又数日後に今回書いた内容を進めて書いてみたい。

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日本へ感じていることPart1

日本へ感じていることは、その侭或る程度自分にとっては日本の昔ながらの女性、或いは幼稚な大人へ向けた気持ちである。

何故なら日本の社会での信用とは、生まれながらの性質に対する査定で成り立っているとしか六十年以上生きてきて感じられないからである。それは要するにかつての日本の女性が自分にとって頼りがいのある男性を見つける(昔は多くは学歴や経済力、包容力だった。でも今の若い日本の女性はそうでもなくなっている)判断と規準に近いものだったが、それに近い感覚は今も日本には多く残っている。

古い日本の女性の男性への判断基準は、あくまで信用できるいい人である。でもそれはやはり学歴と経済力とで決定されていること+αであるに過ぎない。

いい人とはだから結婚相手とかではなく、あくまで人付き合いとか信用度の査定に於いてである。

その査定が人の好さであるなら、凄く矛盾している。つまり全てが理性からではなく、感性から判断されているからだ。

ずばり日本社会には、言語的やりとりにも(今から半世紀位迄の自分が青少年期よりは改善されてきているが)個と集団とのけじめがない。それは言葉のやりとりにも社会通念にもである。

つまり集団全体での倫理と、その責任さえ果たしておれば、あとはプライバシーの領域だというけじめが日本人全般に欠けている。

そしてそれは概して日本の政治意識の上では左翼系、リベラル系に於いて顕著にそうである。そしてそこにある幼稚さ、つまり市民社会以前的な日本の部落社会性が精神的に残存している、と感じさせてしまうのである。とりわけ私の様な懐疑主義者にはであるが。

そして昨今、それは中国にも韓国にもアメリカにも感じられてきていることである。

恐らくその点では欧州、ブラジル等を除く他の中南米国家、中東(尤もそのことと政情不安はまた別の問題としてあるけれど)では日本よりは、部落社会性(少なくとも都市部では)が、言語行為ではもっとドライでビジネスライクではないかとは、色々なニュース報道や現状の社会状況からは察せられる。勿論それこそが私の主観でしかない、と言われれば,それに反論することはできないのだが。

 

でも、まあ、そういう意識の上で、本シリーズを時々、何か気づいた時だけアップしていこうと思う。

 

(つづき)

 

Mar. 31st.  2021

 

 

 

 

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2021年3月17日 (水)

暗い歌

聴いているだけで、沈鬱な気分になる歌がある。

でも、それが今の世界の気分だと言えば言える。

 

要するに文明社会が行き着く処まで来てしまった感が皆にあるって訳だ。

 

でも笑っちゃうぜ、だってそうだろう?皆必死に豊かさや便利さだけを求めて齷齪してきたってのにさ、いきなりコロナウイルスって訳でしょ?

誰だって沈鬱になっちまうよ。

 

そこから這い上がるのって、なかなか大変だぜ。

でも、もう引き返せはしないんだからさ、這い上がり再度、こういう状況を呼び寄せない現実を作っていくしかない。

 

でもね、歌が暗い内は未だ救いがあるのかも知れないよ。だって朗らかな歌だけが鳴り響くのって、そっちはそっちで不気味じゃないかい?

 

だから暗い歌が多くなったねって、言えるだけましかも知れないんだよな。

 

悲しい歌も必要だし、うきうきする歌も必要だけど、それって凄く個人的であって欲しいね。

要するにさ、敢えてこれが価値です、幸福はこうあらねばなりませんって感じの教条さえなければ、それの方がいいって思わないかい?

 

暗い歌に感謝すべきかも知れないんだよ、僕達はさ。

 

だってどんな喜びも嬉しさも、その陰にさ、色々と暗い気分やら悲しい現実があって、成り立っている訳だからね。

暗い歌で、憂さを晴らしたっていい。

 

酒を飲み過ぎるよりさ。

 

 

May. 17th.  2021

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2021年3月 7日 (日)

はちゃめちゃにし尽くして、すっきりしたいもんだけど

すっかり、しっちゃかめっちゃかしきってすっきりしたいけど、それもそんなにすんなりはいかないよね。

しっかりしたくたって、そんなにきちんとなんてっできゃしないよね。

とっくり何かに入り込みたいけど、そんなゆっくりをすっかり取っ払う世の中のお仕着せが、しっかりみんなを縛ってくるんだよな。

たっぷりあるみたいに思える残りの持ち時間なんてそうあるもんでもないんだよ。

言葉の迸りは、そのもので生きていて、何かの為にあるんじゃない。

その有り様そのものが、何か語っているんであって、他の何かの為にあるんじゃない。

何かとは、その事そのものが、語って居て、それより上も下もないんだけどね、なかなか難しいもんだよね。

何かしたいって気持ちが大切なんだけどね。

全てをすっかりとぶちまけて、すっきりしたいもんだけど、なかなかそう上手くいくもんでもないのが難しいんだよ。

そのすんなりとはいかないことそのものに、何かかけがえのないことが、きっとあるんだよね。

それは、だから一言では言い表せない何かなんだろうね。

でもいつか、何かはっきりすることを願って、皆今をこうして生きているのかもしれないね。

面白いね、可笑しいね、悲しいね、嬉しいね、笑っちゃうよね。


Mar. 7th.  2021



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2021年3月 1日 (月)

思いは駆け巡る、でも全ての解決は見ない、けれども

コロナは怠い。もううんざりだ。

いっそカリブの海にでも小舟で繰り出して素潜りでもしたい気分だぜ。

でもこんな日々になるならいっそ離れ離れで居てお互い良かったのかも。

だって日々君が美しくなっていってるのを毎日サイトで確かめられるからね。

でも一緒に居たら君の美しさに僕は正体を失わずにいる自信がないからね。

でも君を美しく育てる為に自分の全てを犠牲にしてきた君のお母さんみたいには、僕は決して君を愛してはいけないのだからね。

だから僕たちはこうして離れて暮らす必要がっきっとあったんだろうね。

君のお母さんが美しく老いて今いるのを楽しく想像しているよ。

こっちでは方々で梅が美しく咲き誇っているよ。僕のお袋の家も近い君達が居る能楽堂辺りに又行ってみたいもんだよな。

僕も又もう少し天候落ち着いたら登山もしようと、運動不足の重い足を引き摺って登山靴でウォーキングもし始めたよ。天気のいい日は。

だから君たち二人ともくれぐれも感染しないで居てくれよな。いつか三人で、いや五人か六人で会える日を今から待ち遠しくしているからさ。


Mar. 1st.


メモ; ところで、詩に書かれることが全て事実とは限りません。悪しからず。

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