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2023年6月 4日 (日)

追想の東京と現在の東京1️⃣

私は昭和34年に生を受けたので、来年前期高齢者になるが、現在住む川越市には、33年前にこしてきてから住み続け、今年で4年目になるコロナ禍を避け、東京都心部には、全く行っていなかったが、最近、高田馬場、新大久保を暫く徒歩で巡ってから、新宿の小田急改札側を暫く歩いてから、歌舞伎町へ巡り、そこでがっつりと、ステーキを食べてから、通勤帰路時間帯に、西武新宿線で、川越自宅への岐路に就いた。

だが、あの小田急改札側の風景は、80年代初頭のバス放火事件当時と、そう大きくは変わっていなかった。又更に遡ること、四十三年の更に十七年前に、小2の頃、当時の自宅千葉県柏市から1人で新宿に来た事があったが、当時は66年で、ビートルズがリヴォルヴァーをリリースした頃で、小田急改札地下街通路側で、ドロップアウト大学生か、浪人生のフーテンが、プラスティックの袋に詰めたシンナーを吸ってらりっているのを目撃したのも目に焼き付いている。当時ビートたけし氏は、既に新宿安アパートに下宿、未来の浅草芸人時代の前哨戦で、イカサマ麻雀をし、夜だったか、シフトで、ジャズ喫茶を、永山則夫と交代で勤務していた筈だ。寺山修司が、田園に死すを映画化し、花園神社手前の甲州街道際でラストシーン撮影したのもその頃である。ちなみに自分は常磐線で上京する際に、向かい合わせに、坂本九さんが仲人の方と並んで座って会話してたのを、目撃しているが、昭和固有の風景である。

高田馬場より、新大久保は更に中国系、韓国系、かつてはベトナム系、スリランカ系も多かったが、今はより中国系、韓国系が多くめだっていた。ともあれ、それ程大きく様変わりしていないのが、新宿界隈で、再開発の渋谷や、少し前の再開発で様変わりしたのは丸の内で、私が小2で上京した頃、未だ都バスも都電も走っていた。(営業していた、より趣きある表現である)

又、少し経ってから、気まぐれに訪れてみたい、我が東京都心に。

 

不定期に続く

 

June. 4th.  2023

 

 

 

 

 

 

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