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2023年8月28日 (月)

日本のポップスのある種の行き詰まり1️⃣

AFNを聴いていると、米英のみならず、豪、ニュージーランド、オランダ、スウェーデン、南ア、ナイジェリア等の英語圏以外も含めた英語歌曲をよく耳にする。ラテンアメリカの曲もよくかかる。だが、韓国はBTSのみならず、Fifty Fifty等、女性ユニットも活躍している。

にも関わらず、日本では個人の歌手が育たない。それは社会全体が均一化した無個性性へ傾注しているからだ。秋元康の仕掛けた大昔のおニャン子クラブも、後のAKB48がそうだし、EXILEもそうだった。

つまり、日本では個人でもユニットでも、個人の想いを伝えさせず、社会の歯車に、歌手やミュージシャンを、落とし込み過ぎている。だから、必然的に、グローバルに歌手や音楽家が育たない。日本では、芸能自体がスポンサーへの従属を強いられ、社会全体の全体主義へ落とし込まれ過ぎている。日本に肯定的に個人主義が育たないのが理由だ。要するに悪しく右傾化が定着し過ぎているのだ。

故に日本は文化的に先進国であったのは、あのバブル期だけだったと言っていい。商業的利潤追求が常に優先され過ぎている。だから基本的に自由と主体性と個人主義が、国家全体の体制翼賛へ席を渡し過ぎている。

これは、日本社会が陥り易い傾向である。つまり、真の競争社会は商業的利潤だけで、文化全般へ波及しない。だから、結果的には、コンピュータ関連、生成AI業界も、成長しきれない。サーヴィス産業、観光、投資は素晴らしく成長してるが、個人の思いを届ける文化は伸び悩んでる、まあ、それは悪しき右翼達のせいであるより、比較的欧米、ラテンアメリカ、中東、アフリカ、南アジア、東南アジア、中米より、治安が行き届いているので、ドラマ性に欠けているとも言えるからだ。危険、治安の悪さと、社会的矛盾は、優れた文化の親だから、日本はセイフティが行き届いているので、文化が凡庸になるとも言える。一長一短である。

(不定期に続く)

 

Aug. 28th.  2023

 

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