文化・芸術

2014年3月24日 (月)

自分のことが実は一番よく分からない② 情けから他者を考える時の貴方

 

 重要なことは貴方と我々が言われる時、自分をそう呼ぶ者とは自分自身にとっての貴方でもあると同時に、自分を貴方と呼ぶ者自身が、自分自身にとっての大勢の他者の中の一人であると同時に、自分(私)自身をも含めた貴方とその者を呼べる私にとっての他者の中の一人である貴方、という意味合いを含んでいるということである。

 

勿論凄く親しい信頼し合っている間柄では一足飛びに貴方と言う時、自分自身にとってのみの貴方であり得るが、そういう場合でさえ、貴方とは私という貴方にとって大勢の他者の中の一人である私にとっての貴方であるという意味合いがあるのである。

 

 

 その点では貴方と誰しもが呼ばれる時、自分自身とはその呼んだ者から見た貴方と呼ばれる人の全他者の中で固有の性格や特徴を持つある一人の人という意味合いがあり、貴方と呼ぶ者にとっての全他者の中から特定したある一人の他者であるある人こそが貴方なのであり、貴方と呼ぶ者が自分自身にとって固有の意味合いを持たせてその者を呼んでいるのだ。このことは極めて重要である。

 

 

 

 情報という語彙は日本語では情けから来ているけれど、これはそもそも中国語でも同じ語彙で示される。である。英語ではinformationにこれは対応している。

 

 さて日本語の古語では情けとは思い遣り、人情、情愛、お慈悲、風流心、風情、味わい、情趣、恋心、恋情、情事、といった意味のラインナップとなっている(『角川新版 古語辞典』より)。

 

 このことから情報とは世間的噂の意味で使われてきたと言えるし、情け自体は世間一般の中に居る特定の他者への感情とか気遣いという様相として充分読み取れる。そもそも愛情とか恋愛的感情とはそういうことである。私にとってどんなに親密な他者も全員他者全体の中の特定な位置(存在理由)を持つということであるという意味では変わりない。他者とは即ち自分自身ではない人ということだからだ。

 

 だからこそ逆にある特定の他者から二人称的に貴方と呼ばれるということ自体に、その者が他にもその者にとって大勢他者が居る中で特定の他者である自分に対して貴方と呼んだという意味があるのだ。それは貴方と呼ばれることで、呼ばれる側も又貴方と自分を呼ぶ側の他者を特定の他者として貴方と呼ぶということを可能とするシチュエーションが貴方とその者から呼ばれることに拠って設定された、ということを意味するのだ。

 

 これはやはり決定的に社会ということの存立のベースとなる事態である。

 

 自分という存在は貴方と一度も呼ばれない内は全く貴方とこちらから(自分から)も呼ぶ相手が居ないということなので、そういった事態では決定的に全く寄せるべき何物もないということになる。それは分かるとか分からないということ自体が成立しない。しかし貴方と呼ばれることで初めて其処に固有の自分自身という位置が設けられ、其処から自分自身とは貴方と自分を呼ぶ者に対して自分がそれなりに分かるとか、~の様に思えるという様な形で感じ取ることが可能な様な意味ではよく分からない。だからこそ自分自身を貴方と呼んでくれる者から見た自分像を頼りにしようと思う。それこそが他者への信頼の第一歩である。

 

 勿論分析哲学的に信頼とか信用ということ自体も、ある種の他者というものの存在への懐疑的意味合いがないとは言い切れない。しかし翻って考えてみれば、寧ろ懐疑とか疑惑といったものの全ては信用とか信頼といった他者へ取り敢えず頼ってみようという心理があって初めて成立し得るものと言える。

 

 寧ろそれなくしては懐疑とか疑惑とか、相手を胡散臭く思うという事態自体が成立し得ない。信頼や信用を経ない、ベースとして保持していない他者とは端的に懐疑対象にすらならない。完全に無関係の存在である。

 

 デカルトが自分自身さえ疑ってかかったことの内には、まず自分自身は信用したいし、信頼したいという感情や欲求があってのことであり、その基本的事態が成立していてこそ、しかしそれは一体本当に自分自身、私という実体としての何かなのだろうか、というイデアが生じる。それなしにいきなり懐疑という事態が成立し得ることは完全なる矛盾である。

 

 自分自身が一番よく実は分からないのだ、という事態は、寧ろ自分のことは通常、本来と言ってもいいが、一番誰よりも<つまりどんな他者よりも>よく分かっている筈だ、という基本的条件が付与されていて初めて成立するのだ。

 

 此処で始めて問題、命題が自分自身ということへの自分からの信頼という事態へと辿り着いた。しかしこの信頼ということが他者へ注がれる時必ずその他者を信頼する自分自身が設定されていなければいけない。率直に言って他者信頼とは他者信頼する自分自身への信頼を必要とする。

 

 このことから次回は信頼するという感情、情動、決意、決定というものの持つ自分性と、貴方性ということから考えていこう。(つづき)

 

 

 

 

 

 

 

 

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